どーも、くらげでーす
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東洋大学イブニングコースについての記事である
ということで、今回は主に東洋大学、学食情報についてお届けするととともに
筆者の偏った大学時代の食生活についてもお伝えすることで、ぜひとも反面教師にしてほしい
そして、ぜひ白山キャンパス6号館のケバブを食べに行ってほしい
東洋大学(白山キャンパス)の学食について
東洋大学といえば、1に学食、2に駅伝、3,4がなくて5に竹中平蔵である
オープンキャンパスで新築のおしゃれできれいなキャンパスを見せつけ
学食で食欲を満たし、トドメに正月の駅伝を見れば、志願者一丁上がりという魂胆である
そして、そんな悪巧みにまんまと引っかかってしまった私は、登校すると同時に学食に直行していた
男は胃袋で掴むなんて古い言い回しもあるが、男も女もそのどちらでもない人も東洋大学により胃袋をがっちり鷲掴みにされていた
東洋大学にはなんと5ヶ所もの食堂がある
お金を注ぎ込むべき場所はもっとあるような気もするが…
そこでもっぱら評判なのは6号館の学食、通称「6食」である
ここには1300席の座席とカレーの専門店や、洋食屋、鉄板料理、うどん・パスタ、などなど世界中の叡智と料理が集結していた
しかしながら、大量の座席の半分ほどはサークルの席(通称サー席)として占領され
それゆえ、私が2年生になる頃には、大学側によるサー席禁止令が発令され
その一斉摘発に多くの反乱が起こった
もはや6食は学食という枠組みには収まりきらない、生徒たちの交流の場所であり、遊びの場でもあり、なおかつ学び舎となっていた
ケバブとは
ところで、ケバブという料理をご存知だろうか
中東地域で主に食べられ、元々は四角に切った肉を串刺しにして焼いたものである
それが派生し、何層にも重なった巨大な肉を串に刺し回転させながら焼くドネルケバブと呼ばれるものが、今日の日本ではケバブとして認知されている(ウィキペディアより)
さて、このケバブといわれる料理、テレビ何度も見たことはあったが、実際に食べたことはなかった
というか岡山の片田舎にケバブを売っている店があったのだろうか
私とケバブ
そして、私は18歳ときケバブに出会い、ケバブばかり食べていた
おそらく週3くらいのペースで食べていたはずだ
ケバブとともに大学に入学し、大学とともにケバブを卒業した
なぜケバブという中東のファストフードを食生活にしていたかというと、実は紛争地帯に留学していた
とかではなく、学食にケバブ屋があったからだ
学食にケバブ屋という一見すると意味不明な日本語だが、東洋大学にはある
私とケバブの出会いはまだ初心な1年生のころ
ぼっち飯を微塵も恥ずかしいと思っていなかった私は、6号館入り口から順番に本日の食事を物色していた
無駄に広い学食、そこには世界中の料理が何でもあった
そして、まるでひっそりと地元のソウルフード屋台のように、その世界の片隅にその店はあった
外国人が回転しながら焼かれた肉を削ぎ落としているのだ
あのテレビで見た光景が食欲を掻き立てられた
ああ食べよう、ここでケバブを食べよう
そこで私とケバブが出会ったのは運命だったのだ
食事時にも関わらず、その立地の悪さからか、他に比べるとあまり列を成していなかった
これはチャンスだ、そう決心しおもむろに食券機でケバブを選ぶ
そこには、なんと500円でケバブ2個セットが
商売する気はないのか!?と絶句しながら列に並び、順番を待つと外国人店員に声をかけられた
ソースはどうしますか?
4種のソースから2種類を選べるのだ
私にとっては初めてのケバブ、ここは2個ともプレーンタイプにして、ケバブの基準とやらを知ろうとした
その間にも厨房から覗く回転する肉と細長い包丁で、スコスコ切られていく肉たちによだれがでてくる
おまたせしましたー
そこに現れたのは、タコスのような生地に挟まれた大量の肉とキャベツ、そこにソースがたっぷりかかっている
私は貪るよにかぶりついた
口いっぱいに広がる、肉たち
ピリ辛ソースの味とキャベツのシャキっとした食感が美味しさを増す
なんてうまいんだ…
私はこの日から、ケバブの虜となったのだ
登校すれば、まずケバブ、授業に遅れてもケバブ、お金がなくてもケバブ
ケバブケバブケバブケバブ…
そして、妖怪ケバブ人間と化した私は、卒業までの間、大学での食事はほぼケバブとなった
そして別れ
季節は秋、最終学年となり、提出した卒論についての口頭試問が行われ、正式授与されたことで、卒業が決まった
そして私はその足で学食のケバブ屋へと向かった
この日が、最後の登校であり、それはケバブとの別れを意味していた
いつものように、端っこにひっそりと、しかしながら堂々とそびえ立つケバブ屋
そこで、働くいつもの外国人に食券を渡し、ソースを選ぶ
もはや風呂に入ったり、歯を磨くことと同じくらいこの作業は習慣になっていた、その瞬間
かしこまりましたー
という、いつものカタコト言葉ととともに、にっこりと微笑んだ
ああ、彼も私の卒業を祝福し、別れを悲しんでいるのだろう
第2の母よ、4年間ありがとう
母の手料理の次に私が食べたのは東洋大学のケバブとなった
プレートに運ばれてきたケバブはこころなしか、いつもより少し多めに肉が盛られていたような気がした
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